ぶどう酒の見せた夢


 連れの顔が一際大きくなった。
 それは連れが近づいてきたからで、つまるところ連れとの距離が縮まったということで。
 おろおろとしていたら、右手で頬を撫でられた。
 ごつごつした連れの手の感触がくすぐったくて身じろぎしてしまったが、段々と気持ちよくなってきた。
「わっちゃあ、寂しかった」
「ああ」
「泣きたかった」
「ああ」
「でも今は、ぬしが居てくれる」
 その言葉に連れはにこりと微笑んで、肩に手を回す。
 身体を預けると、仄かに土の匂いがした。
「いい匂いじゃ」
「食べる気じゃないだろうな」
「どちらかというと、わっちが食べられてしまいそうじゃが?」
 そんな言葉をささやけば、連れはいつだって顔を赤くしながら目を逸らす。
 だというのに、今日に限って「そうかもな」と言いながら、顔を近づけてきた。
「んぅ?」
 そんな連れの行動に不覚にも自分の方が動揺してしまい喉から奇妙な声が漏れてしまった。
「なに、悪いようにはしない」
 いつからそんな台詞が言えるようになったのか。
 連れよりも何倍も生きているというのに、胸の高鳴りが抑えられない。そんな自分が悔しくもあり、久しい感情に嬉しくもある。
 気まぐれのような展開。
 だったら、自分も気まぐれで良いのではないか。
 そう感じたから、
「くふ、楽しみじゃな」
 つい、身を預けてしまった。
 連れの顔が更に近づいてくる。
 空いていた左手が腰に絡められる。
 抱き寄せられる格好になったので、両腕を連れの首に回した。
 心が満たされる。
 見つめ合う時間は永遠のようにも感じられ、愛おしい時間に変化する。
 ふさがれる瞬間、気持ちを表したくて、唇が動いた。
「わっちは、ぬしのことが――」



「大好きじゃ」

 自分の声で目が覚めた。
 瞬間的に辺りを見回す。
 空には満天の星。
 横には山積みの毛皮。
 そして、身体の向きを変えると連れと目が合った。
 連れはだらしなく、ぽかんと口を開けている。
 ――確実に聞かれた。
 燃え上がるような熱さが身体を包み込む。
 ああ、そうだ。飲みすぎたのだ。
 連れが「上質なぶどう酒は酔わない」とか言うから、ぶどう酒の美味さも相まって、つい飲みすぎてしまったのだ。
 完全なミス。
 賢狼らしからぬ失態と言っても差し支えないだろう。
「ええと」
 寝言なのか、いつものようにからかわれているのか。
 連れは今の言葉がどういう意味か計りかねているようだった。
 まさか、本音とは思っておらぬよな?
 なんと言って誤魔化そうかと考えていたら、
「寝言か?」
 と、ストレートに聞いてきた。
 顔には苦笑いが浮かんでいる。
 寝言を言っていた失態は避けられぬものの、本音と思われないのなら悪くない手ではある。
「うむ、情けない話じゃが」
 と言ったところで、
「いや、お前に限って寝言はないよな」
 と、勝手に納得されてしまった。
 なんという引き際の上手さ。
 連れが意図的に行ったとは思えないが、それにしてもタイミングを逸するとはこのことだ。
 思わず怒りそうになったが、このタイミングで怒ってしまっては泥沼だ。
 ここは静観して、次の連れの言葉に返せばいい。
「すると、どういう意味だ?」
 またしてもストレートに聞いてきた。どうやら連れも酒が回っているようで、あまり深く考えられないらしい。
 だったら、誤魔化すのも簡単だ。
「りんごが大好き、と言う意味じゃ」
「りんごが、か?」
「うむ。あの果実は美味じゃからの。先ほどのぶどう酒も美味じゃったが、
 だからこそ頬のとろけるようなりんごの味を思い出してしまいんす。それが、つい口に出てしまったと言うわけじゃ」
「なるほど。りんごのことだったか。てっきり俺のことが好きなのかと思ったのだが」
 前言撤回。
 連れは全く酔ってなどいなかった。
 自分が寝言を言っていたことを完全に理解していて、なおそのことを突いてきている。
 ニヤリと笑った連れの顔が忌々しい。
「たわけ。そんなことを口に出すことなどありんせん」
「ほう。俺のことが好きだということには、触れないんだな」
 またしても不覚を取った。
 一体どうしたというのだろうか。自慢の頭が全く回っていない。
 飲みすぎたぶどう酒のせいなのか、先ほど見た夢に動揺しているのか。
「触れて欲しいのかや?」
 仕方がなく質問に対して質問で返す。
 卑怯だと思われても、今はそうするしか思いつかなかった。
「触れてほしかったと言えば嘘になる。さっきの言葉のときは、お前は背中を向けていたからな。どうせなら正面から言われたい」
 連れの言葉は、既に主語がりんごではなくなっている。
 このあたりは商人としての経験が生かされているのだろうか。
 普段もこのくらい頭が回れば良いのだが。
 しかし、この場面において強気な連れを見ることができたのは、自分の失態から始まったとはいえ悪い気はしない。
「ふむ、なら望みどおりに」
「ん?」
 連れの正面に立ち、小さく息をはく。
 そしてにっこりと笑い。

「わっちは、ぬしが商売をしている姿が大好きじゃ」

 連れは目を丸くする。
 いつものように、連れを振り回すような言葉ではなく。
 ちょっとだけ焦点をずらした、あまりにも幼稚な誤魔化し方。
 それは、面と向かって言えないような、そんな恥ずかしさを含んだ言い回し。
 賢狼だって照れることはあるのだ。
 このくらいは許して欲しい。
 願いが通じたのか、連れはにこりと笑って、転がっていたぶどう酒の瓶を掴んだ。
「なら、もっと稼がないといけないな」
 そう言って、そのまま口をつけて飲み始めた。
「そして、もっと美味しい酒を買ってくりゃれ?」
 コップを差し出して、注いでもらう。
 だけど、時々思うのだ。
 これ以上、格好良いところは見られなくてもいいかなと。
 なぜなら。

 これ以上好きになってしまうのも、困ってしまうのだから。


 END